「魏志倭人伝」に以下の文がある。
南至邪馬壹國女王之所都[1]
(南に行くと邪馬壹國に至る。女王の都。)
[1] 三国志魏書烏丸鮮卑東夷列伝倭人条(三国志列伝。Wikipediaより)
「魏志倭人伝」は正確には「三国志魏書烏丸鮮卑東夷列伝倭人条」
「邪馬壹國」というのは「邪馬臺國」の後世の写し間違いだ、という事らしい。他の歴史書では「邪馬臺國」だ[2]。昔は印刷技術がなく本はいちいち手書きで写し取ったから写し間違いは多かっただろう。ここで「壹」は「壱」の旧字、「臺」は「台」の旧字だ。それがはっきりわかるのが隋書であって、「邪靡堆」は魏志では「邪馬台」の事だ[3]として、「邪馬台」と書かれている事を認める。以上から、以後、邪馬台国と書く。
[2] 至邪馬臺國(梁書列伝48諸夷。Wikipediaより)
[3] 都於邪靡堆則魏志所謂邪馬台者也(隋書列傳第48東夷。Wikipediaより)
邪馬台をなんと読むだろうか?たぶん現代日本人のほとんどが「ヤマタイ」と読むだろう。私も小学校でそう習った。ところが、どうもこれは「ヤマト」と読むのが自然らしい。岩波文庫の「日本書紀」の補注には、当時の発音では「台」は「ト」と読むとある[4]。さらに同補注には九州の地名にある「山門」は「邪馬台」とは古代の発音が異なるとある[4]。日本書紀の校注は坂本太郎、家永三郎、井上光貞、大野晋各氏による。この補注がどなたの著作かわからないが、その考察の内容から私は大野晋さんと想像する。
[4] 「日本書紀」(岩波文庫)第1巻補注30大日本豊秋津州、331ページ。
また台湾生まれの中国人である張明澄さんも「ヤマト」と読む[5]。
[5] 張明澄「誤読だらけの邪馬台国」、207ページ。
考古学者の森浩一さんも「ヤマト」と読む[6]。
[6] 森浩一「倭人伝を読みなおす」
石野博信さんの討論集で田中琢さんも「ヤマト」と読み[7]、
水野正好さんは、「ヤマトというとすぐに大和だとわかってしまう。それではおもしろくない。まず国名から楽しもうということでしょうか。」と学者としてちょっと無責任なことを言う[7]。
[7] 石野博信討論集「邪馬台国とはなにか」
以上しつこく例示した。
そうすると、「ヤマト」は「大和」に自然につながる、はずだが魏志倭人伝を読むとどうもそうでもないと感じさせる。それは次回に考える。
いずれにしても、魏の皇帝が邪馬台国の女王卑弥呼に仮授した「親魏倭王」の金印[8]が発掘されれば場所がほぼ特定できる。その金印はどこかの古墳に眠っていて発掘されるのを待っている、と想像するのも楽しい。