魏志倭人伝から離れて古事記・日本書紀の数え方を列記する。下にあるのは、岩波文庫の古事記・日本書紀の数字の後にかっこで記されているものを列記した。とりあえず誰がこうした読みを付け加えたかは気にしない。
九十五歳(ここのそぢまりいつとせ)
六十歳(むそとせ)
八十三歳(やそぢまりみとせ)
五十六歳(いそぢまりむとせ)
基本の1・2・3・4・5・6・7・8・9は「ひとつ・ふたつ・みっつ・よっつ・いつつ・むっつ・ななつ・やっつ・ここのつ」と近い。
十の位は「そ」をつかうようだが、二十だけは「はたち」だ。十そのものは「とお」でいいのかわからない。
ここまでをみると「あまり」または「まり」をつけて例えば95は90+5という形で言う。ここで「+」が「あまり」または「まり」に対応する。つまり九十五歳は「九十歳まり五歳」と読むようだ。
さらに例示する。
一百三十七歳(ももあまりみそぢまりななとせ)
一百三十歳(ももあまりみそとせ)
一百二十四歳(ももあまりはたちまりよとせ)
百の位は「もも」だろうか。
千の位は君が代に
千代(ちよ)
八千代(やちよ)
とあるように「ち」だろう。
その次は万であって
八百万(やおよろづ)
八十万(やそよろづ)
とある。万は「よろづ」と読むらしい。
しかし「よろづ」とは単に多いという意味もある。という事は大昔の日本人は千の位までを数えていて、それ以上は単に「よろづ」=「たくさん」としたように想像する。そこに中国から万(旧字は萬)という位を示す文字が入って来たから万の読み方を「よろづ」にしたと想像したい。
なお上で八百を「やお」と読む。そうすると百は「お」かもしれない。
日本書紀の神武天皇の所に以下のとんでもなく大きな数がでてくる。
一百七十九万二千四百七十余歳(ももよろづとせあまりななそよろづとせあまりここのよろづとせあまりふたちとせあまりよほとせあまりななそとせあまり)
かっこ内の読みからわかるように、この読み方が
一百万歳あまり七十万歳あまり九万歳あまり二千歳あまり四百歳あまり七十歳あまり
という。長ったらしいけれど「あまり」の使い方が実に論理的に首尾一貫している。
ここでは百の位を「ほ」と読むらしい。
なぜこんな大きな数字が唐突に出てきたか?日本書紀を読んでも必然性がわからない。「われわれはこうした大きい数字を知っているのだよ」と一種のデモンストレーションをしたかったと想像したりする。