前回の天皇の崩御年を上図にプロットしてみた。縦軸は西暦年だ。
上記プロットで、古事記の場合はおおまかに一直線上に配置するけれど、日本書紀の場合は仁徳天皇あたりで傾きが異なる。これから、古事記に記載の崩御年は信頼できそうだ、と感じる。
上のグラフで崇神天皇の崩御年(戊寅)は318年とした。これは258年の可能性もある。
私は258年であって欲しい。
というのはそうすれば卑弥呼とほぼ同世代となるから。「正歳四節をしらない」と言われた倭人が、魏の使節などの中国人から干支を習い、崇神天皇の崩御の時にその干支年を語り部に教え込ませた。と考えたい。
ただ干支はすぐには倭人に定着しなかった。というのは、その後も(すくなくとも古事記においては)崩御年のわからない天皇も多い。
もうひとつ、上記グラフを神武天皇まで延長すると、西暦150年から200年となる。このくらい時期に韓半島から北九州を経て大和・河内へ天皇族の大移動があったと考えたい。