天皇名 | 古事記 |
崩御年 | |
神武 | |
綏靖 | |
安寧 | |
懿徳 | |
孝昭 | |
孝安 | |
孝霊 | |
孝元 | |
開化 | |
崇神 | 318 or 258 |
垂仁 | |
景行 | |
成務 | 355 |
仲哀 | 362 |
神功 | |
応神 | 394 |
仁徳 | 427 |
履中 | 432 |
反正 | 437 |
允恭 | 454 |
安康 | |
雄略 | 489 |
清寧 | |
顕宗 | |
仁賢 | |
武烈 | |
継体 | 527 |
安閑 | 535 |
宣化 | |
欽明 | |
敏達 | 584 |
用明 | 587 |
崇峻 | 592 |
推古 | 628 |
「卑弥呼」は「やまととももそびめの命」かもしれない、とはいろんな人が言っている。例の箸墓古墳はその「やまととももそびめの命」の墓とされている。また魏志倭人伝で卑弥呼のために径百歩の大きな墓を作ったとある。最近、箸墓古墳の年代が卑弥呼の年代に近付いている、とも言われている。
以上のように、例によって状況証拠は多いが、いまだ確定はしていない。
ここでは、古事記の内容を見てさらに想像をたくましくしてみたい。
古事記では「やまととももそびめの命」は孝霊天皇の御子となっている。上の天皇の年代表では、崇神天皇の御祖父である孝元天皇の妹御にあたる。その崇神天皇の崩御年が318年であれば「やまとととももそびめの命」の生存されている時代は 「卑弥呼」の時代と一致しそうだ。
日本書紀では、崇神天皇が「やまとととひももそびめの命」に助言してもらう場面がいくつかある。その場合には崇神天皇と「やまとととひももそびめの命」イコール「卑弥呼」が同時代に生きていたと想像できる。そうすると崇神天皇の崩御年は258年の方がもっともらしい。
という想像を働かすことができる。事実はどうだったか、今後の考古学に期待したい。例えば箸墓古墳をさらに発掘調査できれば色々なことがわかってくると思う。