卑弥呼の時代に倭人は韓半島と北九州の間で交易していた、と魏志倭人伝にある。
その船に帆はあっただろうか?
はっきりとはわからない。
当時の墓の石の壁に帆らしい柱が書いてあったりするらしい。
日本書紀には神功皇后が新羅征伐に行ったときに帆のある船を使ったとある。
古事記では「帆」の語がない。
三国志では呉の船は帆を持っていたとある。
そうして、昨日の古代ギリシャ船は帆を揚げるマストを持っている。これが卑弥呼の時代から650年前の地中海の話だ。
そうした状況から、卑弥呼の時代に倭人は既に帆のある船を使っていたと想像する。
そうすると韓半島と北九州の交易はずいぶん楽になる。
もしも帆がなければ人力しかない。そうした場合は時速4-5kmつまり歩く位のスピードしか出ない。ボートを漕いでみるとよくわかる。
そうすると、韓半島から対馬まで最短でも60kmだから12から15時間かかる。これだけの時間漕ぎ続けるのは、かなりつらいだろう。
というわけで、帆を使って少し楽したに違いない。帆といっても後ろから風を受けて前に進む程度のものだろうから、風向きがいい時しか出航できないだろう。