卑弥呼の時代に馬はいなかった。
魏志倭人伝に「倭の地には馬も牛もいない」とある。
一方、古墳時代には馬もいたし、鞍もあって馬に乗る事もできた。
では、いつ頃馬が登場するか?
普通には応神天皇の頃と言われている。古事記では応神天皇の崩御年は干支で言うと甲午、西暦では394年だ。そうすると卑弥呼の時代つまり西暦240年頃から150年後には馬が入っていたとなる。
考古学的にも妥当な頃とされる。
しかし、面白いことがある。古事記の神話時代に馬が登場する。
スサノオノミコトが斑馬を逆剥ぎにして機織り小屋にぶち込んでいるのだ。おかげで機織りの女が亡くなっている。そのあまりの乱暴さに姉のアマテラスオオミノカミが岩屋にお隠れになり、天岩戸の神話につながる。
馬のいない社会の言伝えにどうして馬が登場できるのか?
これは、古事記の神話のこの部分が馬を知っていた民族(必ずしも騎馬民族でなくてもいい)に起源がある事を示す。
もちろん、古事記の神話は馬を知って後に創作したものだという人もいるだろう。それも否定できない。
しかし、古事記は、長年月に亘って語り部によって語り継がれてきた事を感じさせる美しい響きがある。そしてそれは馬を知る民族の神話だった。
馬を知る民族は、韓半島から北九州へ渡海するとき馬を連れてくることができなかった。なぜなら馬を渡海させるほどの大きな船がなかったからだ。