崇神天皇という漢語的言い方は後世の創作であって、
音に出して読んでみると、ミマキ-イリヒコ-イニエ と分かれそうだ。
今回「イリヒコ」に着目する。
「ヒコ」は「彦」だろう。そうすると「イリヒコ」は「入り彦」であってお婿さんとして入った、と考えたくなるのが自然だ。実際、上垣内憲一さんは著書「倭人と韓人」でそう言っている[1]。
[1] 上垣内憲一著「倭人と韓人」講談社学術文庫(2003)
さらに崇神天皇の皇后はシンプルに「ミマキヒメ」だ。まず「ミマキヒメ」という皇后の名前があってその婿だから「ミマキイリヒコ」と言ったと想像する。後ろの「イニエ」が崇神天皇の本名か。
しかし、そのように考える人を他に知らない。なぜだろう?
次の天皇は垂仁天皇であって、「イクメイリヒコイサチの命」という。
やはり「イリヒコ」とある。しかし、皇后の名前は「イクメヒメ」ではないから、物事はそう単純ではない。
ともかく、この頃は女系家族であって、男性が女性の家へ入り婿として入った、と想像したい。
あるいは、味方につけたい部族が女系家族だったから、そこへ入る事とした。
因みにその後「イリヒコ」とつく天皇の名前は見当たらないようだ。