(上図)Public Domain 画像を編集、東京国立博物館 in Wikipedia「銅鏡」
上記図は蟹沢古墳出土の三角縁同向式神獣鏡の一部だ。
上図の時計の1時の位置から3時の位置までに
「始元年陳是」
とある。欠けた12時の位置には「正」の字があったと類推して、
「正始元年陳是」
と読む。他にも2枚の銅鏡に同様に「正始元年」とあるということだ。
正始元年は魏の年で西暦240年だ。つまり西暦238年に卑弥呼の使者が洛陽に行った返礼の魏の使節が倭に来た年だ。「陳是」というのは鏡を作った人の名前らしい。
ということでこの鏡が魏の皇帝から送られた銅鏡100枚の1つだ、とする学者が多い。
しかもその3枚の銅鏡がすべて三角縁神獣鏡という形式の銅鏡だから俄然三角縁神獣鏡が魏から送られた銅鏡100枚だ、という事になった。
しかし、それに異を唱える人も多い。
第1に三角縁神獣鏡が中国から出ていない。一枚出たといううわさもあるが。
第2に三角縁神獣鏡が何百枚も日本で出ている。贈られた100枚を超えている。
第3に魏で作られた銅鏡は三角縁神獣鏡のような大型のものが少ない。
ということで、わからん事が多いから、これからいろいろ考えてみたい。
ところで、
三角縁神獣鏡とはどんな鏡か?
その定義は?
縁が三角の断面をもち神獣の彫りがあるから三角縁神獣鏡か?
そもそも銅鏡をどのように分類するのだろうか?
そうした分類法は意味があるのだろうか?
縁の形と彫られた内容で分類していいものだろうか?
などなどの疑問を、私は持っている。