上図はPublicDomain 画像を編集。東京国立博物館 in Wikipedia 「銅鏡」
上図に「景初三年」という文字が見える。
見えないという人は左半分真ん中より少し上に四角で囲われた「三」の字を見つけて欲しい。その字の左斜め下、図左下隅に四角で囲われた「年」の字がある。「三」の字の右、図中央上の四角の中はよくわからない。さらにその右、図右上隅の四角は「景」と読めそうだ。
ここでは文字は反時計回りに読む。一つ一つの文字が四角に囲われている。文字は鏡中心から放射状の向きに配置する。
昨日の三角縁神獣鏡では、時計回りに読む。四角の囲いはない。文字は円周方向の向きに配置する。
というわけで文字に関する限り、大分形式が異なる。
ところがやはり「景初三年」の後に「陳是」とあって、陳是さんが作ったらしい。
同一人物がこのように形式を変えるのも不自然だから、陳是と言うのは工房の名前であってその中に何人かの人が半ば独立に仕事をしていたかもしれない。
この銅鏡は和泉黄金塚古墳出土のものであって画文帯同向式神獣鏡というらしい。
という事は三角縁神獣鏡ではないということだろうか。
景初3年は西暦で239年だ。
卑弥呼の使者が景初2年(西暦238年)に行っている。
昨日の三角縁神獣鏡は正始元年(西暦240年)だ。
実は年号の記載があるいわゆる紀年銘鏡は非常に少ない。日本出土ではたった14枚しかない。そしてそれらの紀年銘鏡にある年号はほとんどが西暦239年付近に集中している。
という事実を次回考える。