わからんから面白い魏志倭人伝

三国志の時代の魏志倭人伝にはわからん事が多い。わからんからそのまま想像力を働かして楽しんじゃお!

呉の孫権は夷州(台湾)を探させた

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呉の孫権は衛溫と諸葛直に夷州・亶州を探させた(西暦230年)。両将軍は夷州から数千人を捕まえてきた[1]。

ここで夷州は台湾とされる。亶州はよくわからない。

 

台湾は中国本土から見えるだろうか?

昨日の記事で富士山が262km先の八丈島の高台から見えた事を記した。

台湾には富士山よりも高い雪山(3886m)がある。福州市から雪山まで266kmだ。

従って高台に登れば台湾が見える日がごくたまにある。

雪山というからには冬は雪をかぶるからなお見やすくなる。

あるいは夜明け前に台湾島のシルエットがたまに見える。

そうすれば、当時の中国人は海の向こうに陸地があると知ることができる。

中国本土の海岸からは220kmだから高台でなくて船からでも見える事がある。

 

衛溫と諸葛直は西風の時に帆をもった大型の船に乗って(台湾が大きいから)目的地を見失わずに割と容易に行けたと思う。そこで数千人を捕まえて帰った。しかし、衛溫と諸葛直は命令に(十分に)従わなかったとして殺された(西暦231年)[1]。

     [1] 三国志呉書呉主伝

なぜ殺されたのだろう。これを機会に台湾との航路を開発して植民地化しようとしなかったのか?

夷州(台湾)に関してはこれっきりだ。

 

Wikipedia 「台湾」によると、「隋末から宋までの600年間、中国の文献の中で台湾の記事が出現しない空白期間を迎える。」とあるから、台湾はその間中国史から消えている。