わからんから面白い魏志倭人伝

三国志の時代の魏志倭人伝にはわからん事が多い。わからんからそのまま想像力を働かして楽しんじゃお!

なぜ三分の一以下になったか?

 

aki104.hatenablog.com

 三国時代前後100年間に中国の人口が三分の一以下になった理由をいくつか想像したい。

1.戦乱や政治の失敗により減った。

第二次大戦でロシア(当時のソ連)で1000万人以上が亡くなっているという。当時のソ連の人口は1億人以上だろう。そうすると5年で10%だから、100年で三分の一の可能性もある。

カンボジアポルポト政権の5-6年の間に人口は600万から400万に減ったらしい。仮に100年このような状態が続いたとすると三分の一どころではない。

2.疫病による。

ヨーロッパ人が天然痘をもたらしたおかげで、インカ帝国の人口は60%から90%が亡くなったという。

3.天候不順による。

米や麦がとれなければ人が死ぬ。西暦200年前後から中国では気温が下がるという天候不順があったらしい。

日本の縄文時代の話で恐縮だが、縄文後期の天候不順で1400年で三分の一になっている。

4.戸籍として政府が把握している数字に過ぎない。

史書にある数字は税金を課すために時の政府が人の数を数えたものだ。税金逃れをする人間はいつの時代でもいる。漢の時代は政府の力がいきわたっていて税金逃れは難しかったが、三国時代や晋の時代は権力基盤が不安定であって全人口を把握できなかった。

 

以上4個の理由を想像した。おそらくそれらの複合だろうが、私としては4.が第一の要因と考えたい。

Wikipedia後漢」に妥当性の高い回答があるから興味があれば見ていただきたい。

そこでは人口減少の要因として「黄巾の乱から大動乱(上記1.)」「天災の頻発(上記3.)」そして「国家の統制力の衰えから戸籍を把握しきれなかった(4.)」をあげている。