前回の「倭の人口はどのくらいか?」の記事で、戸数と家数と2種類の単位がある事を表に記載しておいた。
つまり対馬国は1000「戸」なのに一大国(壱岐国?)は3000「家」だ。
あと不弥国が1000「家」とある。他は皆「戸」の単位を使っている。
なんで2種類の単位があるのか?
「戸」と「家」で意味が違うのだろうか?
「戸」と「家」の両方を使った三国志の著者の陳寿さんの意図はどこにあるのだろうか?
そうした疑問に応えてくれる本に未だ出会っていない。
おそらく、「戸」と「家」は微妙であるが、ニュアンスに違いがあると思う。中国人に聞いてみたいものだ。
個人的イメージでは、「戸」は戸籍というように法的な場合に用いて、「家」は具体的な建物のイメージだ。
そうすると、上記で「家」とあるところは国(今の村レベル)全体を使節が一望して得た数字だ。一方「戸」とあるところは倭の役人などに聞いて得た数字だ。
というような妄想を懐きたくなる。