魏志倭人伝では卑弥呼からの贈り物の中に「男生口四人女生口六人」をある。生口10人を贈っている。
生口は奴隷と考えられている。
ここがどうにも腑に落ちない。
奴隷など贈られて喜ぶものだろうか?
当時は戦いの戦利品として奴隷はいくらでもいたはずだ。奴隷に贈り物としての価値があるだろうか?
単に食い扶持の増加というマイナスにしかならないから有難迷惑では?
140年程前の後漢の時代に倭国王の帥升らがなんと生口160人を献じたとある。
また、卑弥呼を継いだ台与も生口30人を贈ったとある。
そのように、当時の倭からの贈り物には生口が必ず含まれていたらしい。という事はもらう側にもなにかメリットがあるに違いない。
一方、その他の国・地域から生口を贈り物としたところはいくら探してもみつからない。
なぜ生口が贈り物になるか?
生口とはどんな人間か?
次回想像をたくましくして考えたい。