私の個人的印象だが「生口」という言い方が人を単なる物とみなしているようで好きではない。とは言うそばで「人口」と普通に使うから、言葉に対する慣れはある意味恐ろしい。
まず、「生口」は人間だろうか?
後漢書巻86南蛮西南夷列伝の中の「滇王」の条に戦いの戦利品として
凡首虜七千餘人、得生口五千七百人、馬三千匹、牛羊三萬餘頭
とある。
「生口」は馬、牛、羊と区別していて、人単位で数えているから、人間を意味する。戦いで得た捕虜だ。最初にある「首虜」も捕虜のように見えるが違いがわからない。兵士と一般人の違いか?
ともかく「生口」は人間を意味する。そしてそれは馬、牛、羊と同様に持ち主の所有物だ。従って奴隷と言っていいだろう。
次に、「生口」は贈り物になるだろうか?
三国志巻15の列伝に太祖が沛という人物に
賜其生口十人絹百匹
とある。「生口」10人を絹百匹とともに与えている。
これは魏の皇帝が下位の者へ贈った例だ。「生口」をもらった側は「生口」でもって畑を耕すなどの労働をさせるだろう。
逆に、魏の皇帝が卑弥呼からただの奴隷10人を贈られたらどうだろう?
かなり違和感がある。
上垣外さんは当時の倭には交易品として奴隷しかなかったとする[1]。
魏への朝貢も交易の一形態とみなす。
しかし、それはちょっと違うのでは、と感じる。
魏という当時の文明の中心にある超大国に対しては、倭としても持てるものの最高のものを贈るだろう。単なる奴隷ではない。何らかの価値ある者を贈るはずだ。
古事記応神天皇の時世に、呉の国の機織りの女工を得たとあるように、何らかの特技を持ったものを贈ったと考えたい。
ではその特技とは何だろう?
もちろん、魏志倭人伝や後漢書には「生口」とあるだけだから、想像するしかない。
一つのヒントは後漢書にある北方遊牧民族:鮮卑の英雄:檀石槐の逸話だ。
配下の人口増により食糧難に陥った檀石槐は、倭人国を襲って1000家を捕まえて秦水の魚を採らせた。
つまり、倭人は漁や船の扱いに長じていた、とみなされている。倭人伝にもそうした記載がある。
当時の中国北部においては、船を作り海や水上を自在に動け生活できる技術をもつ人は貴重な存在だったと想像する。
そしてそうした人材を卑弥呼は「生口」として贈った。