昨日「張氏車騎神獣画像鏡」が三角縁神獣鏡では???と書いた。
そこで、張氏作の鏡を王仲殊著「三角縁神獣鏡」[1]から探した所2面あった。
[1] 王仲殊「三角縁神獣鏡」1998
第1が、胡陽張元環状乳神獣鏡(#81) で外側銘文の冒頭に「呉郡胡陽張元...」とある。銘文全体は内側が12文字、外側が47文字。直径11.6cm。
第2が、張氏作重列式神獣鏡(#105) で銘文の終わり近くに「...張氏元公...」とある。銘文全体は71文字。直径13.7㎝。王仲殊さんはこれも張元作らしいとする。
いずれも三国時代の呉でつくられたものらしい。
ということで、張氏もまた呉の鏡師らしい。
上記2個の鏡は小型であり、「三角縁」ではなさそうだ。
銘文はかなり長い。
最初に記した「張氏車騎神獣画像鏡」も写真から判断すると銘文が長そうだ。
しかし後漢の時代のものとされているから、関連性はわからない。
呉の鏡師としては陳氏のほうが有名らしい。
そうして、日本出土の「景初3年」、「景初4年」、「正始元年」の紀年銘鏡はいずれも「陳是作鏡」とあって陳氏の作だ。
卑弥呼が魏に朝貢した頃、呉では陳氏や張氏が盛んに鏡を作っていた。
そうしてそれらの鏡が倭にもはいって来た。
そのきっかけはやはり魏の皇帝が贈った銅鏡100枚だったと思う。
魏と呉は対立関係にあるとはいえ、三国志によれば一方で交易も行われていたから、呉の鏡が魏を通して倭に入ったと考える。