わからんから面白い魏志倭人伝

三国志の時代の魏志倭人伝にはわからん事が多い。わからんからそのまま想像力を働かして楽しんじゃお!

卑弥呼の時代の銅鏡の用途

 

aki104.hatenablog.com

 

卑弥呼の時代の銅鏡の用途を想像できるだけ箇条書きにしてみた。

1.化粧用

   鏡として顔を映すのに使った。銅のみでは10円玉のように赤くて光の反射率が低いから、錫を多く入れた白銅が材料だろう。鏡面は平坦か凸の方が顔全体を映し出して便利だったろう。墓の発掘時に一枚だけ頭の近くに置いてある鏡は、故人が日用に使っていた鏡だと想像する。

2.点火用

   古代において火を起こすのは意外と大変なことではなかろうか。凹面鏡でもって火を起こすのは太陽さえ出ていれば楽なことだと思う。この場合鏡面が凹であることが必須だ。材料はやはり錫の多いものだ。

3.儀式用

   鏡を使ってマジックのような神事を行ったと想像される。具体的には2.と同じく火を起こしてみせた。凹面鏡が必要だ。その他の具体的儀式は思いつかない。

4.刑罰に使用

   犯罪人を罰するために凹面鏡の光の焦点に犯罪者の体を置いた。これは犯罪者にとって猛烈に熱く恐怖だったに違いない。太陽神が自ら罰を加える刑とみなされる。

5.通信に使用

   遠くの人に光で合図を送った。古代の光通信だ。この場合は平坦な鏡が要る。

6.威信財

   単に偉い人がもつもの。国会議員のバッジみたいなものだ。魏の皇帝が卑弥呼に銅鏡100枚を贈ったのは、倭のそれぞれの国の王に与えるようにとの意味かもしれない。この場合は鏡としての機能は、鏡が鏡であるために必要ではあるが、あまり重要でない。鏡面は凸でも凹でもいい。赤みが強くてもかまわない。

7.貨幣

   中国では銅は銭の材料でもあった。鏡も一種の貨幣とみなされたかもしれない。つまり、交易を行う上で代金として銅鏡を使ったということもあるかもしれない。三国志東夷伝によると弁辰(韓半島弁韓辰韓)は鉄を産し鉄を中国の銭と同じように使うとある。このことから、鉄とか銅とかそして金とかの金属類が貴重品として貨幣のかわりをしていたと想像する。

8.他の青銅器の原料

   日本では、銅鏡、銅矛、銅剣、銅鐸などがどういうわけか皆巨大化していった。しかし、銅が日本で見つかるのは西暦708年の和同開珎の頃だから、それまでは、銅材料は中国、韓半島からの輸入に頼っていたらしい。沢山の鏡が鋳つぶされまた再生したに違いない。それにしてもなぜこれほど多く大きな銅鏡、銅矛、銅剣、銅鐸が作られたのだろう。鉄器と比べてあまり実用性があるとは思えないのだが・・・