新年になりあらためてブログを再開します。
魏志倭人伝とあるように三国志は「倭人」という。他の「高句麗」とか「韓」とかは皆国や地域といった住所を示すのに、「倭」だけは「倭人」と人で示す。どうしてか?
おそらく、三国志より前は「倭人」が過去において色々な所に出没していて住所がわからなかった。わかっていたのは東の海のどこかにいたという程度だった。それで住所が未知だけどとにかく存在するから「倭人」と人で示した。
ところで人の遺伝子解析をすると過去の人の動きがある程度わかるようになってきた。例のミトコンドリアイヴ[1]の発想だ。
[1] Rebecca L. Cann, Mark Stoneking, Allan C. Wilson, “Mitochondrial DNA and human evolution”, Nature 325: 31 - 36 (1987).
ミトコンドリアイヴでは人の細胞内に存在するミトコンドリアが密かにもつDNAを解析した。同じことを人の男性がもつY染色体でもできる[2]。
[2] Peter A. Underhill et al. , “Y chromosome sequence variation and the history of human populations”, Nature Genetics 26: 358 - 361(2000).
Y染色体の変異から日本列島への人の動きも解析できる[3]。
[3] 崎谷満,"新・日本列島史", (2009).
Wikipediaにある図[4]がその最新版と言える。
[4] Wikipedia 「弥生人」図"弥生人に連なる東アジアのY染色体ハプログループと民族移動"
そしてその図[4]の中にあるO1b2が「倭人」だ。
本記事の上図は図[4]を元に作った。上図を見ていただきたい。
O1b2タイプの変異をもつ人々が揚子江河口付近から海岸沿いに東アジア全体に広がっていったのがよくわかる。日本列島にも到達している。
一部は朝鮮半島の根本を横断して沿海州に行っているように描かれているけれども、これはどうだろう?朝鮮半島を海岸沿いに南行・東行・北行したのでは?
このO1b2タイプの人々が日本列島に稲作と鉄とをもたらした弥生人だ。
現在の日本人のうち30%くらいはO1b2タイプに属するらしい[5]。
[5] Wikipedia 「Y染色体ハプログループの分布 (東アジア)」
再び上図を見ていただきたい。
O1b2タイプの倭人が日本列島に進出し始めたころ(おそらく紀元前1000年から西暦200年頃まで)に、既に列島にはD1bやC1a1タイプを始めとする雑多なタイプの人々がいた。縄文人と後世に言われる人々だ。現在日本人の40%くらいがこのタイプに属する[5]。
また、中国大陸にO2タイプの人々がいる。現中国人の大半はこのタイプに属する。現日本人では20%くらいだ[5]。
結論として、
第1に三国志に登場する「倭人」とはO1b2タイプの人々だ、というのが現在のベストゲス(best guess=仮説)だ。
第2に日本人の起源は?という質問に対しては、上記のように、C1a1、D1b、O1b2、O2を始めとする種々雑多な人々が混ざりあってできた、という事になる。当時はまだ日本列島の人口密度が低いから互いに相手の領域を犯す必要がなく、割と平和的な共生だった。
【注意】
上記O1とO2は、2015年の変更前のO2とO3に対応する。本を読む時注意しないと訳が分からなくなる。以下旧(2015年以前)との対応だ。
・O1 (2015年に新設)
・O1a (旧O1)
・O1b (旧O2)
・O1b1 (旧O2a)
・O1b2 (旧O2b)
・O2 (旧O3)