わからんから面白い魏志倭人伝

三国志の時代の魏志倭人伝にはわからん事が多い。わからんからそのまま想像力を働かして楽しんじゃお!

2019-04-01から1ヶ月間の記事一覧

和船の水を漏らさぬ技術

前回に続いて和船の基礎技術について記す。www.aki104.com 大洋を航海できるような、大きな木造船を作るには、何枚もの板を剥いで(互いに側面でくっつけて)水を漏らさぬ一枚板のように加工する技術が要る。 さもないと、海水が船内に漏れ込んで船が沈没し…

倭が大型の構造船・凖構造船を作るための基礎技術

以前、卑弥呼の時代の倭の船は丸木舟だった、という記事を書いた。 www.aki104.com 同じ頃、中国の魏や呉では、現在の木造船とほぼ同じく、板材をつなぎ合わせて作る大型の構造船・凖構造船があったらしい。 www.aki104.com しかし、この板材をつなぎ合わせ…

 陳寿さんの立場から見聞した倭人と倭国について

三国志は魏蜀呉の三皇帝が並立した面白い時代を記述したものだ。 その中に魏志倭人伝(正確には三国志・魏書・烏丸鮮卑東夷伝の中の倭人条)がある。 三国志の著者は陳寿という人だ。 www.aki104.com 陳寿さんの立場から見聞した倭人と倭国について想像して…

史家の功名心

史書の成立 中国の史書というと、史記・漢書・後漢書・三国志と続く。 しかし成立年代となると、この順序ではなく、史記⇒漢書⇒三国志⇒後漢書だ。 後漢書の成立がやたらと遅くなってしまった。陳寿さんの三国志の成立から200年近く遅れて成立したのだ。 なぜ…

魏の使節は卑弥呼に会ったか?

魏志倭人伝によると、西暦238年の女王卑弥呼の朝貢に応える形で、2年後に 梯俊等が皇帝の手紙(詔書)と印綬をもって、倭國を訪れ倭王に会った。漢文では 梯俊等奉詔書印綬詣倭國拜假倭王 とある。その後にも倭王が魏の使節に感謝しており、また再び倭王が…