わからんから面白い魏志倭人伝

三国志の時代の魏志倭人伝にはわからん事が多い。わからんからそのまま想像力を働かして楽しんじゃお!

中国史・史家

魏志倭人伝に続く西戎伝について

魏志倭人伝と言い慣わすけれど、正確に言うと三国志魏書烏丸鮮卑東夷伝(うがんせんぴとういでん)の中の倭人条という。魏・呉・蜀の三国志のなかの魏書の中の烏丸鮮卑東夷伝の中の最後に、倭人について記載されている小さな部分に過ぎない。 陳寿さんは中国…

親の喪に服すため職場放棄する(三国志孫権伝と晋書陳寿伝より)

「三年之喪」というのが三国志呉主伝(孫権伝)にある。 親が亡くなると3年間喪に服して身を慎まねばならない、ということらしい。 例えば戦いの最中の将軍が親が亡くなった事を理由に職場放棄する、という事が(少なくとも呉では)実際にあったらしい。 呉…

梅原末治「漢三国六朝紀年鏡図説」1984年版から

梅原末治「漢三国六朝紀年鏡図説」1984年より引用。魏4が、日本で出土した正始元年の紀年鏡である三角縁神獣鏡。中国では三角縁神獣鏡は未だ発見されていないという。 梅原末治「漢三国六朝紀年鏡図説」1984年版から137ページ目を引用した。 図は掲載された…

漢三國六朝紀年鏡図説(梅原末治著)を借りた

漢三國六朝紀年鏡図説(梅原末治著)を借りた[1]。超大型本で重い。 [1] 梅原末治著「漢三國六朝紀年鏡図説」1943年版、1984年版(復刻本か?) 以下気づいた点を列記する。 1)掲載された鏡の枚数 漢の時代の紀年鏡(年号の入った鏡)38枚、 魏の紀年鏡 8…

「親魏倭王」の印影がある!??ーその2

aki104.hatenablog.com 「親魏倭王」の印影が「宣和集古印史」という書にある。印影は楽篆堂さんのHP http://www.lucktendo.co.jp/blog/2013/12/post-431.php で見える。 素人の私が見るとその字体などいかにも擬古的であって本物のように見える。 そこで、…

鮮卑の檀石槐が倭人を襲った?

昨日書いたように、後漢書東夷鳥桓鮮卑伝に、 鮮卑の檀石槐が食糧難解決のために東にいた倭人を襲って1000家族を奪い魚を採らせた、 という記事がある。 へえ、鮮卑と倭人に接触があったんだ、と感心する。 一方、ほんとかな、と眉に唾つけたくなる。 実は、…

倭の人口は多かったのか?

倭の人口は周辺地域と比べて多かったのだろうか? 中国の史書から数字を取り出してみる。戸数表示でまず見る。 魏志倭人伝では倭の国々の合計戸数が、15万戸だ。 同じ三国志で、馬韓(後の百済の地域)の戸数は十数万戸とあって倭と同等だ。 弁韓辰韓(任那…

「戸」と「家」の違いはあるのか?

aki104.hatenablog.com 前回の「倭の人口はどのくらいか?」の記事で、戸数と家数と2種類の単位がある事を表に記載しておいた。 つまり対馬国は1000「戸」なのに一大国(壱岐国?)は3000「家」だ。 あと不弥国が1000「家」とある。他は皆「戸」の単位を使…

なぜ三分の一以下になったか?

aki104.hatenablog.com 三国時代前後100年間に中国の人口が三分の一以下になった理由をいくつか想像したい。 1.戦乱や政治の失敗により減った。 第二次大戦でロシア(当時のソ連)で1000万人以上が亡くなっているという。当時のソ連の人口は1億人以上だろ…

三国時代に中国の人口は三分の一以下になった

晋書は晋の時代から400年近く後の唐の時代に成立した。400年というと現代において関ケ原の頃を記述するに等しい。 そんな古い時代の記述だけど一応信用するとしてその地理志に記載の人口を見る。 因みに三国志に地理志はない。三国志の著者の陳寿さん、面白…

三国志(陳寿著)と後漢書(范曄著)の関係

中国の歴史書といえば、時代の順に、まず「春秋」があり、前漢初頭までの「史記」があり、そして前漢をカバーする「漢書」がある。 順番からいえば次は「後漢書」だけれども、陳寿さんは「後漢書」をすっ飛ばして、いきなり「三国志」を書いてしまった。 想…

三国志の著者陳寿はラッキーだった

中国の年代と史書の著作年の関係を見やすくするために上記表を作った。 魏志倭人伝は三国志の中の、魏書の中の、烏丸鮮卑東夷列伝の中の、倭人条だ。 三国志は陳寿の西暦280年頃の著作とされている。 陳寿は三国志により後世に名前を残した。 ところで魏蜀呉…