親が亡くなると3年間喪に服して身を慎まねばならない、ということらしい。
例えば戦いの最中の将軍が親が亡くなった事を理由に職場放棄する、という事が(少なくとも呉では)実際にあったらしい。
呉の皇帝孫権にとってはこんな不都合な事はない。なんとかそうした「風習」を止めさせるべく側近と知恵を絞っている。
親が亡くなったからと言って職場放棄したら死刑にするぞ、と脅してみたり、
それでも親の死亡を理由に職場放棄したものには、死刑を宣告して後で寛大な処置をしたり、
なんのかんのやってこうした職場放棄をなくしたらしい。
こうした「風習」ができたのは親を大切にすべしという儒教の教えかららしい。
また、三国志の著者陳寿さんでは以下の2例がある。Wikipedelia 「陳寿」から引用した。
「父の喪に服していた時に病気に罹り、下女に薬を作らせていた。このことが発覚すると、親不孝者として糾弾された。これは儒教の礼教において、親の喪に服している時にわが身を労わるのは、もっての外とされていたからである。」
こんな事で親不孝者とされ、陳寿さんは仕官できなかったのだ。
その後さらに以下がある。
「母(『華陽国志』によると継母)が洛陽で死去すると、その遺言に従いその地に葬った。ところが、郷里の墳墓に葬る習慣に反したため、再び親不孝者と非難され、罷免されてしまった。」
と、せっかく任官したのに、クビになった。
是非はともかくとして、三国志の時代というのは、親孝行・親不孝の倫理観が政治と結びついたかなり理不尽な時代だったと見える。