中国の年代と史書の著作年の関係を見やすくするために上記表を作った。
魏志倭人伝は三国志の中の、魏書の中の、烏丸鮮卑東夷列伝の中の、倭人条だ。
ところで魏蜀呉の三国時代は220年から265年の45年でしかない。
その45年間は英雄たちの活躍する実に面白い時代だった。
しかも陳寿の生きた時代だから記録も新鮮だろう。
このように、三国の鼎立した短くも面白い歴史を、記憶も新鮮なうちに書残すわけだから陳寿は(他の史家に比べて)ずいぶん楽したと思う。
陳寿はラッキーだった。
一方、「労多くして功少ない」役割は後漢書の著者范曄だ。
後漢は約200年も続いた。当然資料も膨大だ。しかも既に200年以上昔の時代だ。
さらに後漢の時代はどちらかと言えば目立たない時代だ。三国時代が曹操・劉備・孫権・諸葛孔明・関羽など英雄の名前がすぐ出てくるのに対し、後漢時代にそうした名前は思い出せない。
唯一私が思い出すのは紙を発明した蔡倫だ。
それでも范曄さんは地理志などの志まできちんと残した。志は本人の作ではないかもしれないが。
かわいそうなことに范曄さんは謀反に加担したかどで一族諸共殺されてしまった。
ところで、三国時代が面白い時代だと言ったが、その面白さは陳寿の三国志によって後世に伝えられたと考える。陳寿さんはただ単なるラッキーな人ではない。