わからんから面白い魏志倭人伝

三国志の時代の魏志倭人伝にはわからん事が多い。わからんからそのまま想像力を働かして楽しんじゃお!

倭人:海の民ー3

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魏志倭人伝」という言い方は簡便だから使うけれど、実は正確ではない。

正確には「三国志魏書烏丸鮮卑東夷伝」の中の「倭人条」だ。

その「三国志魏書烏丸鮮卑東夷伝」には以下の7項目(「条」)がある。

1.匈奴・烏丸・鮮卑

2.東夷

3.夫餘・高句麗・東沃沮

4.挹婁・濊

5.韓

6.倭人

 

この項目名を見て気付かないだろうか?

私は、なぜ「倭」ではなくて「倭人」としたのか疑問だった。

1.から5.までは地域を示す語と考えていい。

ところが、6.では「倭人」という人々を指す語が使われている。

一体陳寿さんはなぜ6.でのみ「倭人」を使ったのだろうか?

 

おそらく、陳寿さんは「倭人」というイメージはもっていたが、「倭」という地域のイメージはほとんど持っていなかったと考える。

陳寿さんの「倭人」のイメージは東の海の島しょ部に住む海の民だった。

しかしその「倭人」:海の民の住む島しょ部がどこにどのように分布しているか全くわかっていない。

そこで陳寿さんはまだあまりイメージのはっきりしない「倭」という地域名よりも「倭人」を用いて、「倭人条」の書出しが

倭人在帶方東南大海之中依山島爲國邑

となった。

魏の使節の北九州訪問により、やっと、「倭」の中枢部が韓半島の狗邪韓国を北岸とする地域つまり韓半島の南に存在する事がわかった。

しかし、海の民=倭人というイメージはいつまでも中国人の記憶に残った。