わからんから面白い魏志倭人伝

三国志の時代の魏志倭人伝にはわからん事が多い。わからんからそのまま想像力を働かして楽しんじゃお!

2019-01-01から1年間の記事一覧

2000人が働けば17年で仁徳天皇陵ができた

日本最大の大山古墳(仁徳天皇陵)を古代の技術で作ったとしたらどのくらいの時間と人が必要か? そうした試算を1985年に大林組がやっている。 https://www.obayashi.co.jp/kikan_obayashi/detail/kikan_20_idea.html 道具としては、鉄製の刃をつけたス…

古事記の天皇の崩御年は、倭の五王の記載と整合する

古事記には所々に註として天皇の崩御年を干支で入れている。 最初に崩御年の記載があるのは、第10代崇神天皇であって、 『天皇(すめらみこと)の御歳(みとし)、一百六十八歳(ももあまりむそぢまりやとせ)。戊寅の年の十二月に崩(かむあが)りましき…

高句麗語は日本語の兄弟言語だ

いち に さん し ご ろく しち はち く じゅう と日本語では数える。一方で、 ひとつ ふたつ みっつ よっつ いつつ むっつ ななつ やっつ ここのつ とお とも数える。これは、 ひい ふう みい よお いつ むう なな やあ ここ とお という言い方にもなる。古…

高句麗好太王碑-10 好太王碑に記されていないもの

好太王碑に記載がある最後の戦いは西暦410年の東扶余の制圧だ。 東扶余はもとは高句麗の始祖である鄒牟王の属民だったが、叛いたから討った、とある。 随分古いことを持出す。東扶余から見れば言いがかりと言える。 好太王自ら軍を率いたから、好太王にと…

高句麗好太王碑-9 -百済再侵略(西暦407年)

帯方地方へ進出した倭を掃蕩してから3年後の西暦407年に、高句麗の好太王はようやく軍を百済に向けた。 百済が誓いに反して倭と通じてから8年の歳月が経った。 7年前には新羅救援のために朝鮮半島南端までの大遠征をやったし、百済を侵略するには十分…

高句麗好太王碑-8 -倭寇掃蕩(西暦404年)

新羅救援の大作戦から4年程は割と平穏だったらしい。 しかし、西暦404年に倭が不法にも帯方地方に侵入した。 原文は以下だ。 十四年甲辰而倭不軌侵入帯方界 ここで「不軌」という言葉が気になる。王健群さんの解釈では「法制に基づかないで事を運ぶこと…

高句麗好太王碑-7 新羅救援・倭と激突(西暦400年)

さて、高句麗好太王は西暦400年にようやく倭と戦うこととなる。 その前年に百済が誓いに反して、倭と通じた。 好太王は立腹したに違いない。しかし平壌まで巡回したに過ぎない。戦闘の準備ができていなかった。 そこへ新羅の使いが来た。「倭人が新羅の地…

高句麗好太王碑-6 百済威嚇(西暦398年)

高句麗好太王の第3戦(西暦398年)は2年前の百済侵略の引続きみたいなものだ。 www.aki104.com 今回は「教遣」つまり軍を派遣した。王自身は動いていない。王自身が軍を率いる時は「躬率」という。 第3戦の文は短いから全文を記す: 八年戊戌教遣偏師…

高句麗好太王碑-5 -百済侵略(西暦396年)

好太王の第2戦目は百済侵略であってそこに「倭」がちょっとだけ顔を出す。 少し長いが第2戦部分の初め3行の碑文を示す。碑文は例によって王健群さんの釈文を用いる。 1)百残新羅舊是属民由來朝貢 (百済[百残としたのは蔑視した。]新羅はもと高句麗の…

高句麗好太王碑-4 碑麗討伐(西暦395)

ようやく、好太王の戦歴をたどる。初戦は碑麗だ。 好太王碑には 永樂五年歳在乙未王以碑麗不婦□人躬卒往討 とある。好太王の5年つまり乙未(西暦395年)の年に碑麗が(高句麗)人を返さないから王自ら討った。 好太王は18歳で即位したから、即位後5年…

台風一過 ー19号が過ぎ去った

東京湾を望む 10月13日、静かな朝を迎えた。千葉市美浜区では快晴、富士山も見える。 台風19号はここからは去っていった。 www.aki104.com しかし、テレビで見ると、関東、長野、東北と広範囲に爪痕を残していった。 主に雨による洪水被害が多い。 台…

既に停電そして竜巻 -台風19号がやってくる

一夜明けた10月12日、8時過ぎ、NHKの朝の連続テレビドラマを見ている最中に、停電となった。 まだ、台風はやってこないのに早すぎる、とうろたえた。 昨日に十分な準備をしたはずだが、一瞬何をしていいかわからない。 www.aki104.com わからないままに…

嵐の前の静けさ -台風19号が明日やってくる

台風19号が明日(10月12日土)やってくる。 今回の台風は一時、915ヘクトパスカル、瞬間風速75mの「猛烈な」台風だった。 アメリカ流にいえばカテゴリー5だった。 www.aki104.com 今は少し衰えて、中心気圧925ヘクトパスカル、瞬間風速70…

高句麗好太王碑-3 -高句麗・百済・新羅 and 倭

西暦400年前後、つまり好太王の頃、高句麗の本拠は集安にあった。好太王碑と好太王の墓とされる大王陵もそこにある。高句麗の名は、漢書地理志にあるから紀元前から中国に知られている。 それに対して、百済はソウルあたりに根拠地があったらしい。三国志…

高句麗好太王碑-2 -好太王碑文の構成

上の写真に示すように、1500年間好太王碑は、現在の中国と朝鮮の国境の川沿いの集安市に立っていた。 高さ6.4mとでかいから目立たないわけないと思うが、1875年まで忘れ去られていたらしい。 今はガラス張りの建屋で保護されている。 いびつな4…

高句麗好太王碑-1 -なぜ好太王碑か?

高句麗好太王碑についての本をいくつか読んだから、ここに紹介したい。 なぜ高句麗好太王碑かというと、卑弥呼の時代の次に倭が登場するからだ。 以下年号だけを拾ってみる。 西暦238年に卑弥呼が魏に朝貢して以来何度か魏と往来があったが、 西暦266…

台風の強さ、ついでにハリケーンも

台風15号に襲われてから11日が経ったが、電信柱が折れたりして、未だ停電から復旧していない家が千葉県内に114800軒もある(teideninfo.tepco.co.jp)。 我が家は20時間の停電を経験したけれども、それでも十分辛かった。とても他人事とは思えない。 www.a…

台風15号の目に入った、そして停電。台風一過の長い長い一日。

千葉市に住んでいて、台風15号の目に入ってしまった。 9月9日午前4時30分頃、地響きの様な風の音に目が覚めた。 その重量感のある風が、次から次へとベランダのアルミサッシに圧力をかける。 「去年も同じような台風があったな、そのときよりも酷そう…

「三国志」展からー曹操の墓

再び「三国志」展から、曹操の墓を取上げる。黄河の北の安陽市にあるらしい。2008年から2009年にかけて発掘され、現在は曹操の墓だと確定したらしい。曹操高陵と呼ぶ。内部から曹操を意味する「魏武王」とある石牌(No.127)がでた等の証拠から曹操の…

「三国志」展からー金印・青銅印・紙

「三国志」展に、金印・青銅印・紙が展示されているから、それらについて紹介したい。 金印といえば日本では「漢委奴国王」印だ。こうした印は原則的には、中国政府が地方に任官した役人に「仮授」したものだ。「仮授」だから、任を解かれたら返さねばならな…

「三国志」@東京国立博物館(9月16日まで)

三国志の展覧会が上野の東京国立博物館(東博)であるから見てきた。 上の写真は中国では古代から軍船としてあった楼船の模型(No.51)だ。宋の時代以降に編纂された軍学書に記載された図をもとに作ったものらしい。宋というと西暦960年に成立したから三国…

漢書地理志より考察

漢書地理志というのは、 前漢の最終期(西暦2年:平帝の2年目、平帝の補佐役に前漢を滅ぼす王莽が就任) における、郡名、県名、郡の人口等を羅列記載したものに解説が付く。 例えば、楽浪郡の項には以下の記述がある。 樂浪郡,戶六萬二千八百一十二,口…

 7月16日の記事に、少し訂正したい。

7月16日の記事に、少し訂正したい。 www.aki104.com Wikipedia 「帯方郡」に、「『帯水、西して帯方に至り海に入る』と漢書地理志にある」というのをそのまま引用した。 しかし、ちょっと不安になったから、実際に漢書地理志にあたってみた。 そうしたら…

台湾から与那国島へ丸木舟で漕ぎ渡った。2019年7月7日-9日

2019年7月7日から9日にかけて、丸木舟で、台湾から与那国島まで漕ぎ渡った。 というニュースがあった。[1] [1] http://www.kahaku.go.jp/research/activities/special/koukai/ 漕いだ距離は225km、時間は45時間10分だから時速5kmだ。 丸…

帯方郡本部(郡治)はどこにあったか?

楽浪郡の本部(郡治)がピョンヤンにあったことはほぼ確定している。www.aki104.com では帯方郡はどうだろうか? まず帯方郡は楽浪郡の南部を郡に格上げしたものだから、楽浪郡の南にある。実際、漢書地理志に楽浪郡の中の一つの県として「帯方」の名が出て…

楽浪郡がピョンヤン近郊にあった証拠は?

古代日本に関する文字記録はほとんどが中国史書であり、そこでは倭人は中国領の東端にある楽浪(+帯方)の海中に居る。 そこで、楽浪がどこにあるかが問題となる。 本やネットで調べると楽浪郡の本部(郡治)はピョンヤン市にあったと記されている。 それを…

すてきな日本語

昨日、津田沼丸善で「すてきな日本語」というちょっと「すてきな」冊子をもらったから、忘備録として記す。 そこで、担当の方二人がたぶん個人的な趣味で40冊の本を選んでいる。 「”すてきな日本語”が読める作品を集めてみました。」と記されている。 冊子…

帯方郡から邪馬台国への所要日数

中公新書「日本史の論点ー邪馬台国から象徴天皇制まで」(2018年)という本がかなり読まれているようで、最近ようやく市図書館から順番待ちで借りる事ができた。 その第1章論点1でいきなり著者が 「水行十日陸行一月」 は帯方郡から邪馬台国までの日数…

郡・国名の重複ー後漢書地理志の場合

前回、三国志東夷列伝(魏志倭人伝含む)と漢書地理志における国名の重複について紹介した。 その結論は、上記史書には国名の重複が存在する。 例えば魏志倭人伝では「奴国」が重複する。 その重複は、単なる間違いとは思えない。何らかの意図があるように見…

国名の重複ー三国志列伝(魏志倭人伝含む)と漢書地理志

孫栄健という方の「邪馬台国の全解決」(2018年)という本が面白い。 何が面白いかというとご本人が中国の史書を深く広く読んでいるからだ。 中国の史書を読む上で中国人は圧倒的に強い。自国語だから当たり前の話だ。 しかし日本の学者さん達の中にはその当…