わからんから面白い魏志倭人伝

三国志の時代の魏志倭人伝にはわからん事が多い。わからんからそのまま想像力を働かして楽しんじゃお!

帯方郡本部(郡治)はどこにあったか?

楽浪郡の本部(郡治)がピョンヤンにあったことはほぼ確定している。
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では帯方郡はどうだろうか?

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まず帯方郡楽浪郡の南部を郡に格上げしたものだから、楽浪郡の南にある。実際、漢書地理志に楽浪郡の中の一つの県として「帯方」の名が出てくる。

しかし、所在地はまだ確定していないらしい。

Wikipedia  「帯方郡」を見て、上の地図に4カ所の可能性を示した。

南方説として、漢江沿いの

1.ソウル

2.広州

があり、

北方説として、大同江の小さな支流沿いに位置する

3.鳳山

4.安岳

があるらしい。

南方説の根拠は漢書地理志に「帯水、西して帯方に至り海に入る」とある「帯水」が漢江とする。ピョンヤンを通る大同江はすでに「列水」と記述されているから、その南方の大きな川は漢江しかない、という。

ただソウルにも広州にもそれらしい考古学的遺跡がないらしい。

それに対して、北方説の鳳山や安岳には遺跡が豊富らしい。特に鳳山からは「帯方太守 張撫夷塼」とある墓がみつかっているらしい。北方説の場合には、大同江の小さな支流を「帯水」とするのだろうか?

以上、日本語Wikipedia帯方郡」の記事からとった。

ハングルWikipedia では、私はハングル文字が読めないから理解できないが、地図があって、鳳山付近を帯方郡の本部(郡治)所在地とする。

中文Wikipediaでは、日本語Wikipediaと同様に4カ所をあげているようだ。

というわけで、「帯方郡」がどこにあるかは詳しくはわからない。

 

海洋民族であり、もっぱら舟で交易をしていた倭人にとっては、帯方郡がソウル近傍にあれば随分便利になったに違いない。わざわざ寒いピョンヤンまで北上する必要がないからだ。一段と帯方郡に出入りすることが多くなったと想像する。

逆に大同江の小さな支流沿いの鳳山や安岳に帯方郡があったとしたらどうだろうか?

舟に乗る者の立場からすればそんな不便な所に行きたくないだろう。鳳山や安岳へ行く川は所々10メートルにもみたない狭いものだ。それよりも大同江沿いの楽浪郡に出入りするだろう。楽浪郡の方が舟の便利がいい。

魏志倭人伝を読むと、帯方太守が倭人と係わっている。

そういう風景からは南方説の方が都合がいいけれど、事実は、どうだろうか?