わからんから面白い魏志倭人伝

三国志の時代の魏志倭人伝にはわからん事が多い。わからんからそのまま想像力を働かして楽しんじゃお!

台湾から与那国島へ丸木舟で漕ぎ渡った。2019年7月7日-9日

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2019年7月7日から9日にかけて、丸木舟で、台湾から与那国島まで漕ぎ渡った。

というニュースがあった。[1]

[1]  http://www.kahaku.go.jp/research/activities/special/koukai/

漕いだ距離は225km、時間は45時間10分だから時速5kmだ。

丸木舟は5人乗りの小さなものだ。

台湾烏石鼻(どう発音するのだろう?)から与那国島の方向へひたすら漕いだ。途中で休むと黒潮に流されて位置がわからなくなるから漕ぎ続けた。

3万年前の人間と同様に、コンパスもなく、時計もなく、ましてGPSもスマホもないから、ただ太陽と星で方向を見定めて、その方向へ漕いだ。

与那国島は見えない。つまり目標が見えない大海原をひたすら方向を見定めて切り裂いていく。

夜は、ともかく北極星が見えるなら方向を定められる。

昼間は時計もなく太陽の位置だけから方向を定められるだろうか?

まず、午前か午後かくらいはあらかじめわかるだろう。ただそれも12時の太陽の高さを頭に記憶しておく必要はある。

次に、12時の太陽の高さと、現在の高さと比較することで時刻を大体推量し、方向を決めたと思う。

しかし、7月7日は夏至の直後で12時の太陽はほとんど真上だ。この時だけは方向を決めるのが難しい。実際この時間は苦労したようだ。

58km位の距離に近づけば与那国島が見えだす。ここまでくれば一安心となる。

実際は、その前に島からの上昇気流が作る雲を見つける事でその下の島の存在がわかる。

こうして、45時間225kmを漕ぎ切る事に成功した。

映像では、丸木舟を漕ぎ切った5人は本当に疲労困憊・憔悴していた。とても成功を喜ぶ余力はなかったようにみえる。

 

しかし、これは快挙だ。

225kmもの長い距離を、なんの目印もない大海原を、丸木舟だけで、目的地へ漕ぎ着くことができる事を実証した。

 

以上は、上野にある国立科学博物館のプロジェクトであって、沖縄諸島で見つかる3万年前の古代人が南方系であるからきっと台湾から沖縄へやってきたに違いない、ではそれを実証しようというものだ。

最初は茎がストローみたいに空洞のある草をたばねた草舟でトライしたが、草が水を吸って重くなって失敗した。

この時、台湾・与那国島の間の黒潮の流れが秒速1m、時速で4kmと強烈なため、黒潮を真横に横断する最短コースが難しいとわかったようだ。そこで今回台湾のかなり南の烏石鼻から出発して黒潮に乗っかることにしたに違いない。

2度目は、竹を束ねた竹舟でトライしたがこれもダメだったようだ。竹ではすき間から水がはいってくるから舟が沈んでしまうだろう。かといって筏みたいにすると漕ぐのが難しい。

3度目の正直が丸木舟だ。丸木舟は一木彫だから海水が浸みこむ事がない。しかも軽いから速度が出る。

このプロジェクトでは、石斧と木と縄と火で木の切り倒しから丸木舟の表面処理まで皆やったらしい。

 

以上3万年前を再現した実験だ。

 

 外洋航海において丸木舟を超える舟はなかなか現れなかった。

数千年前の、縄文時代を想定して、丸木舟で隠岐から島根まで黒曜石を運んだ学校の先生方がいた。

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この時は56kmを12時間43分だから時速4.4kmだ。日中に一気に渡海した。

 

西暦240年頃、卑弥呼の時代も、倭人は丸木舟を使って、渡海し、朝鮮半島と交易していたようだ。  

丸木舟では馬は載せられない。だから、日本に馬はまだ入ってこない。魏志倭人伝でも倭に馬・牛はいないという。どちらも丸木舟には乗らない。

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朝鮮半島から北九州に至るには、朝鮮半島対馬間、対馬壱岐間、壱岐と北九州間という3つの海を渡らねばならなかった。すべて目的地が見える日中の12時間くらいに一気に渡る。

12時間ぐらい漕ぎ続けて一つ海を渡ると、しばらく休養もかねて良い天候と潮時を待つ。天候と潮時が合致すれば、次の海をまた一気に渡る。その繰り返しだ。

ともかく、朝鮮半島と北九州の間に、対馬壱岐の2島が飛び石のようにあったおかげで日中の目的地が見える間に渡海ができて、交易ができたと言える。

ここで対馬海流の存在が気になる。3つの渡海をするうえで対馬海流に流される事はないだろうか?

そこで気象庁のHPを見た[2]。

[2] 

https://www.data.jma.go.jp/gmd/kaiyou/data/db/kaikyo/daily/current_HQ.html

どうやら対馬海流は秒速0.3m、時速1kmくらいのようだ。それならば時速4-5kmで漕げばなんとか克服できそうだ。

 

さて、 同じ頃、中国では、どうやら丸木舟から一歩進んで、何枚もの板を矧いで作る凖構造船・構造船ができていた。特に呉の国では、そうした舟で魏の海岸線を侵略したり、馬を載せて呉に運び込んだり、台湾まで遠征できたようだ。

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中国の造船技術はいずれ日本に伝わる。

応神天皇の頃(西暦390年頃)には日本でも大きな船ができて、朝鮮半島から馬を輸入する事ができるようになった。