日本最大の大山古墳(仁徳天皇陵)を古代の技術で作ったとしたらどのくらいの時間と人が必要か?
そうした試算を1985年に大林組がやっている。
https://www.obayashi.co.jp/kikan_obayashi/detail/kikan_20_idea.html
道具としては、鉄製の刃をつけたスキとクワ、それに土砂運搬のモッコぐらいしかない。
ただし、水路を作って、できるだけ船で運ぶことで効率が上がった。
週休一日制(日曜だけ休む)とした。
一日8時間労働と設定している。
以上から、結論を言うと、
最盛期で1850人の人が働いて17年かかるという見積もりだ。
この試算された人と時間をどう考えるだろうか?
私は、意外に少ない人数でできると感じた。
例えば、5万人を支配する領主がいたとする。
5万人のうち労働者として働くことのできる人が1万人とする。一所帯5人としてその所帯主を駆り出す計算だ。
その1万人が5人一組となって交代で古墳づくりをするなら、常に2000人が働くこととなる。
ということで、5万人を支配する領主なら17年かけて仁徳天皇陵を作ることができる。
当時の倭には全国で100万-200万人の人口しかいなかったと思う。
だから、5万人というのは大きな比率を占める。
それでも、近畿地方のかなりの部分を支配すれば作ることができるレベルだと思う。
因みに古事記に記す仁徳天皇の在位期間は33年と長い。生前から自らの陵を作り始めたら十分作る時間がある。
所で、大山古墳は本当に仁徳天皇の陵だろうか?
考古学的には、大山古墳の作られたのは450(±10)年といわれているからまあ当たらずとも遠からずだ。
日本には、古墳が数万とある。よくもそんなにたくさん作れたと思う。
また、それだけのものが、1500年後の現代まで残ったと思う。
ただ、大山古墳でさえも17年で作ることができた。
ということは小さな古墳なら1-2年で作れた。
例えば大山古墳の半分のサイズの古墳を作るとする。
半分でも長さ200m級の十分大きな古墳だ。
サイズが半分なら体積は八分の一になる。
つまり運ぶ土砂の量が八分の一になる。
工期を17年の八分の一とすると約2年と少しでできることとなる。
以上、あまりに単純化した計算だが、古墳というのは割と簡単に作ることができる、ことがわかった。