好太王碑に記載がある最後の戦いは西暦410年の東扶余の制圧だ。 東扶余はもとは高句麗の始祖である鄒牟王の属民だったが、叛いたから討った、とある。 随分古いことを持出す。東扶余から見れば言いがかりと言える。 好太王自ら軍を率いたから、好太王にと…
引用をストックしました
引用するにはまずログインしてください
引用をストックできませんでした。再度お試しください
限定公開記事のため引用できません。