わからんから面白い魏志倭人伝

三国志の時代の魏志倭人伝にはわからん事が多い。わからんからそのまま想像力を働かして楽しんじゃお!

高句麗語は日本語の兄弟言語だ

いち に さん し ご ろく しち はち く じゅう 

と日本語では数える。一方で、

ひとつ ふたつ みっつ よっつ いつつ むっつ ななつ やっつ ここのつ とお

とも数える。これは、

ひい ふう みい よお いつ むう なな やあ ここ とお

という言い方にもなる。古事記ではこの数え方をする。

このように二通りの言い方が今の日本語にはある。それを冗長と考えることもできるが、日本語に奥深さを与えているのも事実だ。

私はこのような冗長さが好きだ。

 

所でこの二つの言い方の起源はどこにあるだろうか?

「いち に さん ...」の方は明らかに中国語からきている。麻雀をやっているとよくわかるが中国語では

yi liang san si wu liu qi ba jiu shi

と数える。

 

ではもう一つの

「ひとつ ふたつ みっつ ・・・」はどこからきているだろうか?

こうした数え方は言語の基本だから、数え方の類似する言語を追っていけば日本語の源流にたどり着くはずだ。

ところがこれが一筋縄ではいかないらしい。

 

例えば、英語は、印欧語族という大きな言語の集団のなかの一言語だ。

英語の「one two three ...」と

フランス語の「un deux trois ...」、

イタリア語の「uno due tre ...」 、

ドイツ語の「eine zwei drei...」、

スペイン語の「una dos tres ...」

を比較するといかにも兄弟のように近いとわかる。つまり一つの語族に属する。

 

ところが、日本語には兄弟がいない。親類もほとんどいないらしい。

例えば、韓国語では

hana tul seis neis tases yesse ilgop yedal ahop yel

と言って共通点がなさそうだ。

モンゴル語では

negni khoyor gurav dorov tav zurgaa doloo naim yeson arav

と言って共通点があるのかないのか全くわからない。

ということで、日本語には親類がいない、孤立語といわれているらしい。

1億2千万もの人が話す一大言語集団が他から離れた孤立語だというのも面白い。

 

そういった中で、新村出という人が1927年に「国語及び朝鮮語の数詞について」という論文のなかで、3(みっつ)、5(いつつ)、7(ななつ)、10(とお)について、高句麗語と極めて類似することを示した。

 

結論から先に言うと、

みっつ(日本語)→mi(高句麗語)

いつつ(日本語)→utsu(高句麗語)

ななつ(日本語)→nanum(高句麗語)

とお(日本語) →te(高句麗語)

となる。これはほとんど兄弟のように近い。

 

しかし、高句麗というのは西暦600年代に既に滅亡している。テープレコーダーも何もないそんな大昔の、国の言葉をどうやって復元しただろうか。

新村出さんは、朝鮮の三国史記高句麗地理志を丹念に探して次の4個の数字が入った地名の呼び方を示す文を見つけた。

三峴県一云密波兮

五谷郡一云兮次云忽

七重県一云難隠別

十谷県一云徳頓忽

上で、例えば「三峴県一云密波兮」は「三峴県 は 密波兮 と呼ぶ。」となる。

そうすると「三」を「密」と発音するとわかる。

同様に「五」は「兮」、

「七」は「難」、

「十」は「徳」だ。

このようにして、3、5、7、10の高句麗語を復元した。

ここで三国史記高句麗地理志には、数字が入った地名の呼び方を示す文は上記4個しかなかったことに注意する。

4個だけあってその4個とも日本語に極めて近い呼び方をした。

そうすると、他の数の呼び方もまた類似している可能性が強いと言える。

このようにして高句麗語が日本語の兄弟語である可能性が出てきた。

 

高句麗は自らを扶余の出目とする。

百済もまた扶余から出たとする。

また、倭はどういうわけか百済とは仲がいい。

そうして、高句麗語が日本語と近いとなると、

扶余→高句麗百済→倭 という言語の流れも想像できるような気がする。

 

新村出さんのこの仕事は1927年とかなり古いものだ。

その後、日本語の起源についてどのような進展があったか、私は把握できていない。

ネットで漁る限り顕著な進展はないように見えるが、私の探し方が足りないせいかもしれない。

 

ただ、人の遺伝子のタイプ分け(ハプログループ)から日本人の源流を探す試みがある。日本人の源流と日本語の源流は当然密接に関連する。そうした面からの研究についていずれ関連の本を読んでみたい。