長江(揚子江)の沿岸沿いの高台でのろし(烽火)を揚げて急を知らせた。
連絡網を次々と経由して伝わるから非常に速い。一日で万里を行った(一夕可行万里)。
長江の辺境に敵が攻めてきたとしても、1日で首都建業に伝わる。
まさに古代の光通信システムというわけだ。
長江という川沿いだから見通しもいい。
昔、川越から志木の倉庫の火事の黒々とした煙を望見した。その経験から10kmくらい先でも十分見える。夜ならむしろ炎が目立つだろう。
中継地点が100個あれば1000km先の情報が一日で伝わってもおかしくない。
同じように古代の光通信システムは海でも使える。
おそらく使っていたに違いない。
池上彰氏のTVであったが、朝鮮戦争で北朝鮮軍が釜山付近まで攻め込んだ時、対馬から韓半島で上がる照明弾を見ることができたそうだ。もちろん夜だ。
という事は50km先でも見えるという事になる。
釜山あたりから出発した船が日没になっても対馬へ着けないという事は多々あったと想像する。なにしろ50kmもの距離がある。時速4kmなら12時間以上かかる。
その時に、対馬で烽火が焚かれていればそれを目印に夜になっても船を進めることができただろう。
烽火は一種の原始的灯台でもあっただっただろう。