三国志呉書呉主伝(孫権伝)に干支(えと)についての面白い記事がある。
趙暢が占って「呉は庚子に衰える。」と呉の皇帝の孫権に進言した。
孫権が「それはいつか?」と聞くと、
趙暢が指を折って数えて(屈指而計之)「58年後です。」と答えた。
孫権は「そのように先の話なら子孫に任せよう。」とした。
私が面白いと思ったのは、暦の専門家であるはずの趙暢が、子供の足し算のように、指を折って計算したところだ。
また孫権は最初から計算を諦めている。つまり普通の人には干支はわからない。
干支の発明者である中国人でも計算が大変なのだとわかって安心した。
司馬遷の「史記」の年表でも所々に干支年を記載して分かりやすくしている。
このように、干支(えと)はいくらわかっていても計算がめんどくさい。
めんどくさい原因は、いわゆる12支:
子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥
(ね・うし・とら・う・たつ・み・うま・ひつじ・さる・とり・いぬ・い)
(し・ちゅう・いん・ぼう・しん・し・ご・び・しん・ゆう・じゅつ・がい)
の他に10干:
甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸
(こう・おつ・へい・てい・ぼ・き・こう・しん・じん・き)
の両方がぐるぐる回る点だ。
例えば今年2019年は己亥(きがい)であって、来年2020年は庚子(こうし)になる。
そんなめんどくさい干支だが、中国や日本では近世までずっと使われていた。例えば明治維新(1868年)の戊辰戦争と言ったりする。他に通し年号がなかったからだ。
従って、西暦という便利な通し年号が導入されてからは廃れた。
干支については過去の記事がある。
aki104.hatenablog.com
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