三国志の孫権伝に記載がある夷州は台湾らしい。実際に渡海して夷州まで行って数千人を連れてきた。これが西暦230年だ。呉は台湾まで行く大きな船をもっていた。
ところがその後台湾に関する記述が中国の史書から消える。
Wikipedia「台湾」によると
「隋末から宋までの600年間、中国の文献の中で台湾の記事が出現しない空白期間を迎える。」
とあるから、600年という長い期間、中国人は台湾に全く関心がなかった、と言える。
なぜ関心がなかったかというと交流がなかったからであり、台湾海峡を往来する船もなかった。大帝国を築いた唐でさえも台湾には無関心だった。
呉の孫権の時代に築いた造船技術も後世に継承されることなく途絶えてしまったかもしれない。
再び、中国の史書に台湾が登場するのは、元の時代だ。
元のフビライは2度目の日本来襲の時(弘安の役)、高麗だけでなく旧南宋の地域からも船を調達した。しかし旧南宋製の船は高麗の船に比べると台風のような強風には弱かったようだ(Wikipedia「元寇」)。
ともかく、元は日本だけでなく、東南アジア諸国まで海軍を派遣している。
その過程で(中国人から見て)台湾を再発見したに違いない。
更に明の時代に中国は鄭和の大船団を派遣した。