わからんから面白い魏志倭人伝

三国志の時代の魏志倭人伝にはわからん事が多い。わからんからそのまま想像力を働かして楽しんじゃお!

韓半島から倭へ;3ステップの渡海

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図のように魏の使節は3つの海を渡って、韓半島から倭の本拠地へ来た。魏志倭人伝ではそれぞれを「渡海千里」と表現する。

実際にGoogleマップで最短距離を測るとそれぞれ、51km、49km、21kmとなる。港から港ではプラス数キロ増えるだろう。

以前に言ったように、人力で船を漕ぐと時速4-5km位しか出ない。従って韓半島から対馬まで12-15時間かかる計算になる。まあ帆みたいなものも使って少しは風の力を借りたとして夜になる前になんとか対馬に着けただろう。

夜になると目的地が見えないからどちらに向かっているかわからない。おそらく蛇行してしまってとんでもない方角へ向かってしまう。だから夜になる前に到着することが必須だ。

渡海を決行するには色々な条件が整わねばならない。例えば、風向き、潮の満ち引き、目的地が見えるかどうか、など。それらを、夜が明けると同時に、考慮し、決断し、出航する。条件が整わなければいつまでも待つこととなる。

ところで韓半島から対馬は見えるだろうか?

結論は見える。以前私は川越に住んでいてそこから筑波山雄大に見えた。筑波山は850mの低い山だがそれでも独立峰だから55kmも離れた川越からも大きく見える。対馬も海の中の言ってみれば独立峰だ。対馬には高さ600mの山があり、筑波山の肩のあたりの高さだから十分見える。ただし、天候が良ければの話だ。それから夏には見えにくい日が多くなる。

では逆に対馬から韓半島は見えるか?

これも見える。釜山近郊に800mの山があるから船からでも見える。また朝鮮戦争北朝鮮の軍が釜山に迫ったときにはその照明弾が対馬から見えたという証言を1年ほど前のテレビでやっていた。照明弾の高さはわからないがまあそんなに高度はないだろう。

韓半島から対馬に到着すると、次は対馬の島沿いに南下する。そして対馬の南端辺りから壱岐へ2度目の渡海を決行する。これも1度目と同じくらい難度が高い。

壱岐にはそれほど高い山はないけれど、見える範囲内と言える。

3度目の渡海は壱岐から九州であって距離が短いけれど、海を渡る点では変わらず気が抜けない。一旦霧などで目的地を見失ってしまうと漂流して生命が危ない。

以上、3ステップの渡海の後ようやく倭の本拠地に着いた。実際に渡海した魏の使節にとっては皆大変な航海であって、それを心理的距離感として一千里とした。