わからんから面白い魏志倭人伝

三国志の時代の魏志倭人伝にはわからん事が多い。わからんからそのまま想像力を働かして楽しんじゃお!

夷州(台湾)と中国の関係

三国志の孫権伝に記載がある夷州は台湾らしい。実際に渡海して夷州まで行って数千人を連れてきた。これが西暦230年だ。呉は台湾まで行く大きな船をもっていた。 aki104.hatenablog.com ところがその後台湾に関する記述が中国の史書から消える。 Wikipedia「…

魏志倭人伝に続く西戎伝について

魏志倭人伝と言い慣わすけれど、正確に言うと三国志魏書烏丸鮮卑東夷伝(うがんせんぴとういでん)の中の倭人条という。魏・呉・蜀の三国志のなかの魏書の中の烏丸鮮卑東夷伝の中の最後に、倭人について記載されている小さな部分に過ぎない。 陳寿さんは中国…

親の喪に服すため職場放棄する(三国志孫権伝と晋書陳寿伝より)

「三年之喪」というのが三国志呉主伝(孫権伝)にある。 親が亡くなると3年間喪に服して身を慎まねばならない、ということらしい。 例えば戦いの最中の将軍が親が亡くなった事を理由に職場放棄する、という事が(少なくとも呉では)実際にあったらしい。 呉…

烽火:呉の光通信システム(三国志孫権伝より)

三国志孫権伝に古代の光通信システムの記載がある。 長江(揚子江)の沿岸沿いの高台でのろし(烽火)を揚げて急を知らせた。 連絡網を次々と経由して伝わるから非常に速い。一日で万里を行った(一夕可行万里)。 長江の辺境に敵が攻めてきたとしても、1日…

干支(えと)はめんどくさい(三国志呉書呉主伝(孫権伝)より)

三国志呉書呉主伝(孫権伝)に干支(えと)についての面白い記事がある。 趙暢が占って「呉は庚子に衰える。」と呉の皇帝の孫権に進言した。 孫権が「それはいつか?」と聞くと、 趙暢が指を折って数えて(屈指而計之)「58年後です。」と答えた。 孫権は「…

卑弥呼の使節の船

西暦238年、魏が公孫淵勢力を帯方郡・楽浪郡から追い出して魏の直轄地になったと同時に、卑弥呼は魏に使節を送った。 aki104.hatenablog.com 実際には次のようであったと考える。 公孫淵の支配する帯方郡・楽浪郡の役所にたまたま卑弥呼の使節がいた時に、魏…

三国志呉書呉主伝(孫権伝)から中国の船を想像する。

南船北馬という。 中国では南部は降水量が多くて河川や湖が多く主要な交通機関は船だ。北部は比較的乾燥して馬が主要な交通機関になる。 交通機関は戦いの時には兵器にもなる。三国志の時代には、魏では馬が主要兵器であり、呉では船が主要兵器だった。 西暦…

赤壁の戦いから中国の船を想像する

魏志倭人伝つまり卑弥呼の時代には、倭人は大海(対馬海峡、他)を渡る船として丸木舟しか持っていなかったらしい。 aki104.hatenablog.com そうして、丸木舟でもって大海(隠岐ー島根)を渡り切った例がある。 aki104.hatenablog.com では、卑弥呼の時代に…

1982年:縄文の丸木舟で日本海を渡った先生方がいた

縄文の丸木舟日本海を渡る : 縄文時代の再現に挑んだ教師達の記録 1982年7月24日朝4時40分:15kgの黒曜石を積込んで、丸木舟が隠岐島から本土に向けて漕ぎ出した。 乗組むのは5人の小学校の先生方だ。4人が漕ぎ最後尾の1人が丸木舟の方向を制御する。 幸い…

卑弥呼の頃の船

卑弥呼の頃に、韓半島ー対馬ー壱岐ー北九州ルートの交易があった。しかし交易のためには3つの海を渡らねばならない。どうやって渡ったか? その質問の答えてくれる面白い記事をなんと国会図書館のレファレンス共同データベースにみつけた。 crd.ndl.go.jp …

倭の地に馬はいない

下記記事中にある「乗駕牛馬」の駕は「現代中国語では、「駕」に、牛馬に農具や車をつけて引かせる、また御する、操縦するという意味があります。」というありがたいコメントを頂いた。 そこで、馬について再度考える。aki104.hatenablog.com 三国志烏丸鮮卑…

ミトコンドリアDNAによる現人類の分類

直前3-4回の日記では魏志倭人伝の「倭人」とは?からY染色体のハプログループの話になってしまった。行きがかり上ミトコンドリアDNAのハプログループも考える。 ja.wikipedia.org 上記日本語版はよくわからないから英語版も見た。 en.wikipedia.org Y染色…

Y染色体による現人類の分類

前回、前々回と日本人、倭人とY染色体の変異のタイプ別分類の対応を考えた。次は全世界の現人類はどのように分類されるか知りたくなる。そこで以下のWikipediaを参照する。 ja.wikipedia.org 全世界の現人類のタイプ別分類は、 A、B、C、D、E、F、G、H、I、J…

日本人とは

前回日本人の起源として主に4つタイプ(C1a1、D1b、O1b2、O2)の変異をY染色体にもつ人々をあげた。 ・C1a1とD1b:いわゆる縄文人:現日本人の約40% ・O1b2:三国志にいう倭人:現日本人の約30% ・O2:現中国人の大半を占める:現日本人の約20% 上…

倭人とは

新年になりあらためてブログを再開します。 魏志倭人伝とあるように三国志は「倭人」という。他の「高句麗」とか「韓」とかは皆国や地域といった住所を示すのに、「倭」だけは「倭人」と人で示す。どうしてか? おそらく、三国志より前は「倭人」が過去にお…

倭人:海の民ー4

魏志倭人伝にいう「倭人」とは中国人が勝手につけた名称だ。 そして、当時の中国人にとって「倭人」とは上図地域に住む海の民を総称して示す、言わば普通名詞みたいなものだった。 という考えを示してきた。 かといって、「倭人」が空想的なものではない。 …

倭人:海の民ー3

「魏志倭人伝」という言い方は簡便だから使うけれど、実は正確ではない。 正確には「三国志魏書烏丸鮮卑東夷伝」の中の「倭人条」だ。 その「三国志魏書烏丸鮮卑東夷伝」には以下の7項目(「条」)がある。 1.匈奴・烏丸・鮮卑 2.東夷 3.夫餘・高句麗…

倭人:海の民-2

「倭人」とは中国人が勝手につけた名前であって、必ずしも日本列島に住む人々を指すものではない。 そこで、中国人がどのように「倭人」を記述しているか見てみる。こういう時にWikipediaの「倭・倭人関連の中国文献」は便利だから、そこに沿っていく。 1.…

倭人:海の民

「倭人」という語について考えてみたい。 「倭人」というと日本列島の島々に住む古代の日本人と我々は普通に考えてしまう。 しかし、この「倭人」という語は、中国人が勝手につけたものだ。 日本列島という島々が中国人に認識されていない昔から「倭人」とい…

縄文人と弥生人

紀元前1000年から西暦725年までの1700年間の人口増加は、明治維新後現在までの自然増による人口増加、あるいは関ケ原後江戸中期までの同じく自然増による人口増加に比べると、それほど急激なものではない。それは上図の傾きからもわかる。 しかし1700年とい…

弥生時代の人口増加

再度、小山修三さん、鬼頭宏さんのデータを元に人口増加を考える。 紀元前1000年に75800人まで減った日本の人口は、 西暦200年には594900人に増えた。さらに 西暦725年には4512200人となった。 この人口の増加は自然増だろうか移住による増加だろうか? 答え…

卑弥呼の頃の人口分布

さらに卑弥呼の時代の倭の人口を地域ごとに考えたい。 幸いなことに、小山修三さんの調査では、地域ごとの人口まで産出している[1][2]。 [1] 小山修三著「縄文時代」中公新書 1984 [2] 鬼頭宏著「人口で見る日本史」 それによると 北九州 40500 人 南九州 64…

倭の総戸数15万戸について

昨日、西暦200年頃の、遺跡から推量した日本全国の人口が60万人に対して、魏志倭人伝に登場する国の総戸数15万戸が、まあ桁が合っているし、どちらも10倍くらいの誤差もありうるから納得できる、とした。 今回は、15万戸についてもうすこし考えよう。 15万戸…

卑弥呼の時代の日本の人口は60万人だった

西暦200年の人口は約60万人。725年には450万人。紀元前900年には7万6千人。 上図をじっくり見ていただきたい[1][2]。 [1] 鬼頭宏著「人口で見る日本史」 [2] 小山修三著「縄文時代」中公新書 横軸は年、縦軸は人口だけど対数目盛であることに注意する。 一見…

卑弥呼の時代の銅鏡の用途

aki104.hatenablog.com 卑弥呼の時代の銅鏡の用途を想像できるだけ箇条書きにしてみた。 1.化粧用 鏡として顔を映すのに使った。銅のみでは10円玉のように赤くて光の反射率が低いから、錫を多く入れた白銅が材料だろう。鏡面は平坦か凸の方が顔全体を映し…

卑弥呼の時代の銅鏡の用途は?

卑弥呼の時代の銅鏡の用途は? と改めて想像してみたい。 できれば、複数個の用途を考えて箇条書きにしたい。 明日、私の考えをまとめる。 そのためのキーとなる事実を述べる。以下は私の主観で書いた。 1.卑弥呼への皇帝の贈り物は銅鏡100枚だ。1枚でもな…

鏡師張氏とは?

昨日「張氏車騎神獣画像鏡」が三角縁神獣鏡では???と書いた。 aki104.hatenablog.com そこで、張氏作の鏡を王仲殊著「三角縁神獣鏡」[1]から探した所2面あった。 [1] 王仲殊「三角縁神獣鏡」1998 第1が、胡陽張元環状乳神獣鏡(#81) で外側銘文の冒頭に…

「上海博物館展」(2004)に「三角縁神獣鏡」が展示されていた???

「古代鏡製作」http://inoues.net/study/takaida.html には随分啓発された。同じHPにある 「三角縁神獣鏡の謎」http://inoues.net/mystery/3kakubuchi.html も素晴らしい。 そこに実に目をむく記述がある。 なんと、「上海博物館展」(2004)に「張氏車騎神獣…

古代鏡製作所の上田合金さんはどうなったか?

昨日の記事に出てきた上田合金さんは今も健在だろうか? aki104.hatenablog.com 気になって調べてみた。 社長の上田さんが亡くなられて会社も畳んだ。 しかし、その意思を継いで、藤綱合金さんが頑張っておられるようだ。 東大坂ネットdeマッチ https://hocc…

古代鏡はどうやって作ったか?

古代鏡はどうやって作ったか想像したい。 以下の手順だ。 1.基本の「型」を作る。あるいは既成の鏡を「型」として用意する。 2.「型」の「逆」(鋳型)を作る。鏡の場合鏡面側と模様面側の2個の「逆」(鋳型)が要る。 3.二つの「逆」(鋳型)を合わせて、…